ルーマニア旅行2005 8月30日~31日
7日目、行動開始[Web拍手]
寝坊することもなく、7時半起床。8時にホテルの食堂で朝食をとり、9時にはホテルを出発。初日と同じでパンとチーズとハムが美味でした。
国民の館の朝[Web拍手]
ホテルのすぐ目の前にある国民の館の東側に車を乗りつけるアディ。
「ここは朝のうちしか光が当たらないから、今のうちに記念撮影するといいよ」
と、放っておいたら全然夫婦で揃って写真に納まらない我々に気を使ってくれたのか、国民の館の全景をバックに記念撮影してくれました。
旅行会社へ[Web拍手]
朝陽を浴びる国民の館を撮影した後は、旅行会社のオフィスへ。用事は勿論旅費の支払いです。
メールで提示されていた通りの金額が請求され、ヴォロネツでのホテル変更の料金は計算されていませんでした。
本屋チェック[Web拍手]
オフィスを出た後はアディに「どこに行きたい?」と再確認され、夫婦揃って「ブカレストで一番大きな本屋」と再回答。こりゃ駄目だ、と本当に本屋に連れて行ってくれました。
大きな本屋といっても日本だったら中程度の広さしかない本屋でした。本当に一番大きいのかは謎。
9時30分開店らしいところを5分前に着いてしまい、しばし本屋の前をうろうろ。そこまでして本屋に行きたいのか? 行きたいとも。
開店と同時に入店し、いきなり3人別行動に。
特にこれが欲しいと目指す本があるわけではないので、相棒も私も気分の赴くまま本屋の中を歩き回り、めぼしいものがないかチェックです。
アディはアディで多分「こいつら放っておくしかないな」という感じだったかもしれません。
ルーマニア語なぞこれっぽっちも読めやしませんが、ダイジェスト版と思われる「Dracula」と、あとはヴラド公がテーマらしき本を確保。
またルーマニアに来たいと既にこの時点で思っていたので、相棒が見つけてくれたルーマニア語会話集も1冊。
これが日本語&ルーマニア語&発音(カタカナ)&発音(ローマ字)の併記で、400頁近い会話例と単語、簡単な文法説明が掲載されている素敵本。
現地滞在中の日本人or日本語を勉強したいルーマニア人をターゲットにしているようで、帰国後にamazonで探しても見つかりませんでした。日本国内で簡単に買えたらすごく便利だと思うんですが、何で日本では無いかなぁこういうの……。
『Chid de conversa?ie JAPONEZ-ROM?N』という本なので、興味がある方は頑張って探してみてください。損はないと思います。
会計しての感想は、「本はちょっと高い」でした。
会話集の本で750円くらい。日本円で見ると高くはないのですが、現地での食費などから考えるとやはり高いのではないかなという印象でした。
結局30分くらいを本屋で過ごした我々。修道院1箇所見るのと同じくらいの時間かけていたとは。
旅行ハイライト、スナゴヴ修道院[Web拍手]
10時頃ブカレストの本屋を出発し、向かうはスナゴヴの修道院。ルーマニア観光局で「日本の観光客はそんなところ行きません……」とまで言われた場所です。
道中アディが道路沿いの林というか森というか微妙な緑の塊を指差し「ここでじぇろびたるを作ってる」と教えてくれました。
でも木が多すぎて建物すら見えませんでした。さすが国家プロジェクト。(この時は知りませんでしたが)
車を走らせながらアディがこんな発言。
「15年ぶりで道がわからないよ~」
あちこちの観光地に顔見知りが大量にいるアディでさえ15年ぶりなのか。そりゃ普通の日本人観光客が来ないというのは本当かも。
「確かこの辺の道に入るんだけど……」
道行く人に確認しながら、大きな道を外れ、どんどん辺鄙な場所へ。周囲は畑と林ばかり。
ブカレストを出てから1時間は経過したところでアディがようやく車を停めました。
スナゴヴ修道院まで500mという看板が! ヴラド・ツェペシュの名前も書いてある! 船の絵も書いてある! 湖の真ん中って話は本当だったんだっ!
わくわくしながら進むと、アディが傍で遊んでいた数人の少年に声を掛けました。すると先頭に立って道を進み始める少年その1。どうやら修道院まで案内してくれるようです。
すぐに湖の畔にある船着場に到着。
えーと、手漕ぎボートなんだ。そうだよね、あの看板みたいな船のわけないですよ、観光客来ないところなんだから。
少年の漕ぐボートに揺られ約5分、湖の真ん中に浮かぶ小さな島へ。
そこまでして辿り着いたこの修道院に何があるのかと言えばヴラド・ツェペシュのお墓。
ドラキュラ好きには多分有名ですが、普通の観光ルートには組み込まれない場所。
ルーマニアに来るからにはどうしても来たかった場所の筆頭です。自分の中ではここがハイライトです。
上陸すると修道院の建物以外に、人が住んでいるらしき家や、家庭菜園程度の畑、そして牛やら鶏やらが。
修道院に入れば天使の声。
いや、そんなわけないんですが、天使の声と表現したくなるような、それはもう高く美しい歌声が響いていたのです。
賛美歌のテープでも掛かっているのかと思えば、生歌声でした。しかも歌っているのが金髪美少年。
何て素敵なシチュエーション!
……服はボロいけど。裸足だけど。
と、我々に気付いた少年が歌をやめて、修道院の説明を始めてくれました。
当然写真を撮る気満々だったので撮影料を確認したら……20Euro!? 高っ!?
世界遺産登録されていたヴォロネツの修道院群だって確か60,000Lei=約240円。20Euroって……約2700円? うわ、1桁違う。
そこですかさず美少年がすぐ横のお土産コーナーで「カメラを使うなら20Euroだけど、このCD-ROM※1を買えば××(メモ忘れ&忘却)Leiだよ! 修道院の外も中もうつってるよ! 絵葉書もあるよ!」(意訳)
これは修道院の説明係というよりも、完全な商売係です。天使の歌声と凄いギャップですよ。
だがしかし少年よ。私はこの修道院を見るためにルーマニアへ来たのだ。20Euroくらい迷い無く払うわ!
あ、そのCD-ROMも勿論買うよ。絵葉書も。
でもそのコピーの紙切れ1枚で1000円っていう自称パンフだけはさすがに買わない。
多分この辺で少年にカモ認定されました。
カメラ使用料をきちんと少年に払い、心置きなく撮影タイム。
祭壇前にはヴラド公のお墓。遺影代わりか肖像も置いてあります※2。
三脚が無い&下手にフラッシュを焚くと色飛びやら反射やらで雰囲気台無しになるので、苦戦しながらノンフラッシュ撮影を繰り返しました。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるの心意気。
その横でカモを捕まえた少年は機嫌良く熱心に修道院の解説開始。主に聞いているのはアディと相棒ですが。
少年のルーマニア語の解説をアディが英語に直し我々に伝えるというちょっとまどろっこしい状態&私の英語能力の低さで細かい事はわかりませんでしたが、この修道院は3回(?)建て直されているということ、1つ目は木造で、2つ目はミルチャ大公が建てたが水辺だったので地震で水没したこと、柱の漆喰が落ちた下に見ている絵は古いもので、その上に塗りなおして新しく絵を描いてあるということくらいは何とか理解。
※1 ちなみにこのスナゴヴで買ったCD-ROM。てっきり写真が入っているのかと思いきや、帰国後に再生してみたら中身は動画ファイル。確かに修道院や島の様子が映されていますが、修道院の神父様が何やら語りまくり。
良かった、20Euro払って写真撮っといて。
※2 ただ、調査のために発掘された時、ここに埋められた棺の中は空だったそうで。修道院入り口の傍に埋まっている同じ大きさの棺が本物だという説もあるようですが、本物のヴラド公の遺骸がどこにあるのかは未だに謎みたいです。
この辺の話は『ドラキュラ伝説 吸血鬼のふるさとをたずねて』(レイモンド・T・マクナリー&ラドゥ・フロレスク)が詳しいので、興味ある方はどうぞ。……絶版なので古本で。
祭壇の横には観光客向けに足跡帳が1冊置かれていました。勿論我々も一言二言記入。
他に日本人はどのくらい来ているのだろう?
と相棒と2人でページを遡ると、数人分ですが日本語の書き込みが確認できました。ちゃんと来てるじゃないですか日本人。
そう思いながらぱらぱら1番前まで戻ってみたら。
1ページ目の書き込みが前世紀の日付でした。
メモってくるのを忘れてしまったので断言はできないのですが、下手したら自分と同じ年齢くらいのノートだったような気がします。
それだけかかっても1冊終わらない足跡帳の姿に、観光客の少なさが滲み出ていました。
そうこうしているうちに、別の団体(!)が到着。団体といってもかなり小さなグループですが、一応ツアーらしき観光客が来ていることにちょっと驚き。
このグループは英語圏の人達だったようで、少年の解説がさっぱりわからず、何故か我らがアディが全部通訳するハメに。最後には少年の代わりにお土産コーナーの会計までアディがやっていました。
あのグループはアディの事を修道院関係者と間違えていたんじゃないでしょうか……。
その後少年に連れられ、修道院の周りを散策。
少年の解説相手はもっぱら相棒。片言の英語で修道院裏の井戸の水を勧められたりしていたようです。
私はといえば、もう少年の説明そっちのけで写真撮影に熱中。
ローアングルからの建物の構図が素敵なのよ!!
なんて言いながら地面に転がって撮影していたもので、気付いたら少年に思い切り笑われていました。
でもきっと、私の友達のドラキュラ好きさん達でも同じ事をするに違いないと思います。
上陸したのとは反対側の岸からは、チャウシェスクの別荘だったという立派な建物が対岸に見えました。
気付いたら「あんまりにも美少年だから」というわけのわからない理由で相棒が少年にチップ上げてました。
アディが計算した料金+チップとは別口に相棒がチップを払ったのはこれ1回きりです。
気持ちは分からないでもないけど、何やってんの相棒……。
湖の真ん中の小島なので見るべきものは特に無く、と思ったら、島に来てから1時間半経過していました。
写真も撮るだけ撮って満足したので帰る事に。
帰りもやはり手漕ぎボートで対岸まで送ってくれました。
ブカレストへUターン[Web拍手]
スナゴヴ周辺に見るべきものは特に無いので、またブカレストへUターン。
途中、小さな売店でジュースを買ったりしつつ、猛スピードでブカレストに戻りました。
昼食をどうするかアディに聞かれ、連日の暴飲暴食もあったので「軽く」と答えたら、連れて行かれたのは街中のサンドウィッチ屋。すなわちハンバーガー屋。
これ、軽いの? 向こうの人にしたら軽いのか……。
会計方法が日本と少し違って戸惑いましたが、ハンバーガーはやはりハンバーガーでした。
コレクション美術館[Web拍手]
昼食の後はコレクション美術館へ。
世界各国の美術工芸品を一堂に集めたアンティーク好きには萌え所の多い美術館です。
絵画も良かったですが、個人的には工芸品の方が好きでした。日本の印籠もあったり。
カメラ使用料を払わなかったので写真は無いのですが、払ってたらここだけで何時間か写真撮ってそうな勢いでした。
カメラ使わないしその後の予定も詰まってるから30分で戻ってくる! とアディに宣言しておきながら45分かかったくらいで。払わなくて良かったのか悪かったのか。
国民の館[Web拍手]
コレクション美術館から車で10分、14時50分頃国民の館に到着。
近くで見るとますます巨大。駐車場から入り口まで移動するのも距離感が狂う程です。
総工費1500億円、部屋数3107、公共の建物としてはペンタゴンの次に巨大だというこの宮殿、アディはずっと「チャウシェスクパレス」と呼んでいました。
「国民の館」とは名ばかりで、結局はチャウシェスクの私利私欲のためだけに建てられた宮殿ですからね。
ここは入場料を払ってもすぐには中に入れません。
ある程度の人数が集まるまで(あるいは一定時刻毎かも?)待ってから、空港にあるような金属探知機にかけられボディチェックを受けた後、専門のガイド付きでグループ行動です。というわけで、アディは外でお留守番。
外観も凄いものでしたが、中に入ったらもっと凄かったです。一言で言い表すなら「正気の沙汰じゃない」でしょうか。
廊下は廊下と思えない程広く、柱は磨きこまれた大理石エトセトラエトセトラ。
巨大な絨毯は、このためだけに作られた専用の機械で織られ、二度と同じものが作れないように役目が終わった機械は破壊されたそうです。
ぽっかりとそこだけ装飾の無い壁には、昔はチャウシェスクの巨大なポスターが貼られていたとか、その向かい側の壁には奥さんのポスターが貼られていたとか、何だかもう独裁者のお約束を垣間見ました。
ちょっと切なかったのが、各部屋を紹介する度にガイドが部屋の電気を点けて、説明が終わると消していた事。あれだけの部屋の巨大さ、照明器具の豪華さでは、維持費だけでも馬鹿にならないんだろうなぁと。
見学が終わって車に乗ると15時55分でした。待ち時間もあったので見学自体は40分か50分くらいだったのかな……。
好きな速度で見られないのでちょっと窮屈ですが、見て損はないと思います。一般的な観光ルートにもばっちり入っていますから。
実際、中で別グループの日本人観光客の団体様に遭遇しました。
旧王宮跡[Web拍手]
16時頃、旧王宮跡(クルテア・ヴェケ)に到着。国民の館から5分くらいで着いてしまう、街のど真ん中、ビルの谷間※1にぽつんと現れる古い遺跡。
鉄柵に囲まれ、一応入場料を払わないと入れないようにはなっているももの、まずその入場料をどこで払えばいいのかわからない程度のやる気の無さ。
壁も崩れ落ち、1階と地下が辛うじて残っている程度のこの場所は、ヴラド公が築いた砦の跡地です。
跡地というだけで特に何もないかなぁと思っていたのですが、きちんとヴラド公の胸像が建っていました。
補習作業中なのか、崩れかけた壁の補強用なのかところどころに柱が組まれていました。
観光客の姿は皆無。
隣のクルテア・ヴェケ教会※2は人たくさんいるのに。さすが、『地球の歩き方』に「見るべきものはほとんどない」と冷たいコメントされているだけあります。
載ってるだけポイエナリよりはマシだけど。
※1 ブカレストで1番古いエリア。実はブカレストはヴラド・ツェペシュによってワラキアの首都になった街だったりします。
※2 ブカレスト最古の教会。
時間切れ[Web拍手]
旧王宮跡の次に農村博物館へ行く予定(byアディ)だったのですが、旧王宮を出たところで16時35分くらい。もう見る時間無しってことで農村博物館行きは取りやめに。
まぁスナゴヴであんなに萌え萌え長時間滞在するとは想定外だったんでしょう、アディも。
アディの家にお呼ばれ[Web拍手]
で、農村博物館に行かずにどこへ行ったかといえば、アディの自宅。家族に紹介され、お茶と食事までいただいてしまいました。
お茶がしっかり緑茶だったあたり、アディも相当日本が好きなようです。
若い頃は警察官として宮殿の警備などをしていたというアディ。昔の制帽を引っ張り出してきて「もうキツイ!」と被ったり、その帽子を借りた相棒は頭が大きすぎてキツイどころではなく、皆に大笑いされたり。
他の日本人も呼んだ事があるようで、部屋にはたくさんの折鶴を入れた小箱が。
ここで同じ様に折鶴を作ったのでは芸が無いと、折り紙12枚を組み合わせる比較的簡単なくすだまを作りました。好評で織ったこちらも満足。
1辺1cmのミニ鶴も織ってみたところ、子供達が興味津々でした。
そしてここでサプライズ。
「1日早いけど誕生日おめでとう!」
とアディ一家から相棒にプレゼントが。
さっき子供に買い物に行かせていたのはこれだったのか!
どうやらルーマニアに来た初日、ホテルにチェックインするのにどこに何をサインすればいいのか分からない我々のためにところどころ代筆してくれたアディ、その時に見たパスポートで旅行最終日が相棒の誕生日だと気付いていたらしいのです。
下手したら嫁の私が忘れそうなのに何て気の利く人なんでしょうアディ。
自家製のブルーベリー酒も出してきてくれて、わいわいと楽しい一時を過ごしました。
ホテルへ[Web拍手]
20時頃アディの家を出発。結局アディの家に3時間も居座ってました。
本日もHotel IBISに宿泊。
長いようでとても短い旅も終わり、翌日は帰国です。