ルーマニア旅行2005 8月24日

Last Update 2005/11/11

本格的な旅の始まり [Web拍手]

Hotel IBISから見える国民の館。29日朝撮影。  7時頃起床。朝食はホテルでビュッフェ形式。パンが美味いです。パンとバターとグレープフルーツジュースがあれば生きていけそうです、私。
 ちなみにこのHotel IBISは「国民の館」(チャウシェスク宮殿)の裏側にあるので、エレベーターホールの窓から国民の館が拝めます。部屋によっては窓から見えます。当然食堂の窓からも。裏側でこれなんだもんなぁ。

 9時30分、チェックアウトを済ませ、謎の運転手さんとホテルのロビーで合流。
 「オハヨウゴザイマス~!」と元気に声をかけてくれますが、彼は日本語が流暢に話せるわけではありません。日本人観光客の相手をたくさんしているから、自然と挨拶や良く出る単語(美味しい、とか)はわかりますって程度。勿論勉強もしているのでしょうが、会話は無理。つまり、ここから先は98%くらい英語+ジェスチャーです。
 というわけで、電子辞書の出番。ルーマニア旅行の間、これが大いに役に立ちました。※1

 ところでこの人マリアンなのかしら? とりあえず不明なので仮に「マリアン」で。車は昨日と同じオペルのザフィラ。結構デカイ。荷物を全部積んでも余裕余裕。いざブカレストを出発。

  1. ※1 話し掛けるための単語は辞書で引けても、聞き取りは自分の耳を使うしかありません。申し訳ありませんが、運転手(兼ガイド)との会話に関する部分で「これおかしいよ?」というところがあったら、そこはまず9割9分、私の聞き取りミス+質問ミスですので、悪しからずご了承ください。笑いたければ笑えよ!

ブカレスト出発 [Web拍手]

 ブカレストは首都だけあってとても車が多いです。片側4車線の道もあるし、路駐だか駐車場なんだか、縦列駐車が1m間隔くらいでずらーっと。実は出発前に国外免許を申請して取得したんですけど、この時点で運転手付きレンタカーにして良かった……としみじみ思いました。アレは無理。あんな所に縦列駐車なんて絶対出来ない。

 途中、犬がいっぱい。道端に首輪の無い犬がごろごろ寝ているわ歩いてるわ。あんまりにも数が多いのでマリアン(仮名)にStray dog? と聞いたらYesとのことだったので、ほとんど全部野良みたいです。「チャウシェスクの所為」と言ってました。住民が大移動した折に置き去りになった犬たちなのだそうで。
 あと驚いたのが馬車。ブカレストを外れた辺りから急に馬車が増えました。と言っても荷馬車です。リヤカーみたいな荷台を引っ張るだけの簡素な馬車がかなりの頻度で道端を走っています。一頭あるいは二頭立て。
 ちなみに車はその横を100km/hくらい※1で走ってます。日本だったら有り得ない。言うなれば高速道路の路肩を馬車が走っているようなもの!
 と、最初は「大丈夫なのかこれでっ!?」と思っていましたが、何台も見ていれば見慣れるものです。しまいには歩行者が横切っていても気にならなくなりました。言うなれば高速道路を歩行者が横(略)なんですが、どうやらこれが普通みたい。

 ブカレストから出てしばらく経ってから、そういや持ってきたEurをLeiに両替してないよと気付きました。うわ。空港に着いた時に両替しようかと思いつつ、きっと街中の方がレートがいいよと後回しにしたんでした。
 実は両替してないんだが~……とマリアン(仮名)に話すと、じゃあトゥルゴヴィシュテで両替しようということに。
 そういう事はブカレストにいる間に言えよ、とマリアン(仮名)は思ったに違いありません……。
 というわけで向かうはトゥルゴヴィシュテ。ワラキア公国の首都だった街です。

  1. ※1 ルーマニアの制限速度は街の中50~60km/h、郊外の主要道路80~90km/h、高速道路120~130km/h……くらいです。参照する資料によってばらつきがあるのでどれが正しいのやら。

トゥルゴヴィシュテ到着 [Web拍手]

 11時頃トゥルゴヴィシュテ到着。両替を終えてキンダ塔※1へ向かいます。

 ミルチャ公が1396年に建てた宮殿跡の側に立つキンダ塔。こちらは15世紀に建てられたもので、現在歴史博物館になっています。塔の内部にはヴラド・ツェペシュの資料が盛りだくさん! 『吸血鬼ドラキュラ』のモデルになり、串刺しという処刑方法の残虐性ばかりが有名になっているヴラド公ですが、祖国ルーマニアでは国を守った立派な英雄。
 まずこの宮殿跡と塔に入るために入場料が要ります。それから、写真を撮りたいならカメラ使用料も。※2
宮殿跡 教会  入場料を払って中に入ると城門らしき場所をくぐります。そこには歴代のヴォエヴォド※3の名前を刻んだプレートが。
 そのまま進むとすぐ右手側に教会。
教会内部 教会内部  装飾の豪華さに圧倒され、カメラ使用料は払ったものの本当にこれ撮っていいのかなぁ? とオロオロする私。まだ初日で遠慮というものがあった模様。フラッシュOKだったのでフラッシュ焚いて何枚か撮ったところでマリアン(仮名)が「2人一緒に撮ってあげるよー」と言ってくれたので1枚撮ってもらいました。
キンダ塔遠景 宮殿跡  教会を出ると次は宮殿跡。を横目に見つつキンダ塔。この辺りから徐々にカメラ小僧根性がふつふつと。お前らどけー! 後ろどたまが入るんじゃー! 俺の前に立つんじゃねー! と同行者2名に対して念を飛ばしつつ、塔の全景を撮影。
 ここでまたもやマリアン(仮名)が「一緒に」と言ってくれたので記念撮影。でもズームの方法がわからなかったらしい。すまん、デカいデジカメで(笑)
キンダ塔内部 螺旋階段 キンダ塔内部 資料  いざ塔へ突入。
 入ってすぐの階段は非常に狭く、「うわこのまま上までか!?」と思ったら、すぐに広くなりました。が、階段が長い。螺旋階段がぐるぐると屋上に出るまで5階分くらいでしょうか。その途中途中の階にヴラド公に関する展示物が飾られています。
キンダ塔 相合傘……? キンダ塔 天辺  あちこちに落書きが有りました。特に酷かったのが屋上。日本だけじゃないのね、歴史的建造物に対する落書きって。
 それにしたって串刺し公の見張り塔に相合傘を描くなんて、どういう了見だ。
 キューピッドの矢に貫かれるどころか、木の杭で串刺しにされるぞ。
キンダ塔から見下ろす宮殿跡 キンダ塔から見た眺め  塔の上からの景色は、周りに高い建物が無いので非常に良いです。
 ちなみに私は高所恐怖症、とまでは行かないかもしれませんが高い所が嫌いです。自力で登れる木の高さ以上は苦手。それでも写真を撮るカメ小根性。
 この根性がこのすぐ後悲劇を招く事など露知らず、半ば身を乗り出すようにして眼下の宮殿跡や教会を撮影。悪戯好きの相棒には当然「脅かしたら殺す!」と釘刺してからね!
 下を見ないようにしつつ下の写真撮り(大いなる矛盾は気にしちゃいけない)。

 私が写真撮影にいそしんでいる横で相棒がマリアン(仮名)に質問開始。「馬車は見るけどバイクは見ない」、これが初日移動中に我々が覚えた疑問でした。
「革命の後、金持ちはより裕福に、貧しい人はますます貧乏になったんだ。だから、金持ちは高級外車を乗り回し、貧しい人は手作りの荷馬車に乗る。バイクを買うような中間層はほとんどいないんだよ」
 成程……思わぬところで革命の影響を目の当たりにしてしまいました。

 さて写真も撮ったし塔を降りよう。
 と、ここで思わぬ罠発動。
 脚が動きません。
 冗談抜きで動きません。
 脚が攣った後に筋肉が強張って動かない感じとでも言えば通じますでしょうか。
 両太腿がかちんかちんでしかも痛い。階段が下りられません。
 手摺に必死でつかまりながら1段1段踏みしめて、一体何分掛かったのやら、1階にたどり着いた時には疲労困憊でした。……やっぱり高い所怖かったのかも。

宮殿跡 宮殿跡  何とかかんとか自力で塔を脱出した後は、隣の宮殿跡を散策。
 しっかりライトアップ用の照明器具が設置されていたりしました。夜訪れたらまた違った雰囲気なのかもしれません。

 カメ小スイッチ完全に入って、相棒とガイドほったらかしで写真撮影に熱中。私の忘れっぽさは折り紙つきなので、写真は重要なのです。それにそうそうルーマニアなんて来られません。次に来るのはいつだかわかりません。
宮殿跡から見たキンダ塔  今撮らないでいつ撮るのだ。
 それにほら、相棒はその気になれば英語出来るからマリアン(仮名)と話せるんだろうけど、私は聞き取りの時点で精神力消耗しますから。初対面の人と話すの苦手なんです。はぁ。
 閑話休題。
 キンダ塔の宮殿跡から見える側には、監獄への入り口があるらしいです。
 この宮殿ってヴラド・ツェペシュが2度目のワラキア公だった時、トルコの使者がターバン脱がないからってターバンごと頭に釘打ちつけたりしてた場所なんですよねぇ。
 ちなみにトゥルゴヴィシュテの辺りって「串刺しの森」なんて呼ばれていたんですよ、当時。対オスマン・トルコのために、ヴラド・ツェペシュがトルコ兵2万人以上を串刺しにして並べていたのです。
 攻めて来たメフメト二世も呆然としたとか。そりゃするわな……。

  1. ※1 キンダ塔(Turul Chinda)、キンディア塔とも。ヴラド・ツェペシュ建立。とはいえ修復されてはいるはず。
  2. ※2 ルーマニアの観光地はだいたいどこもこの形式。入場料・カメラ使用料・デジカメ使用料・ビデオ使用料が設定されていて、写真を撮りたい場合はその分も払って許可証を貰います。
  3. ※3 「公」の意。簡単かつ乱暴に言うと君主。

食べ物が…… [Web拍手]

デアル僧院  キンダ塔を後にして、12時過ぎだしお腹も空いたし昼ごはん~。の前にキンダ塔からちょっと離れたデアル僧院※1見学。
 僧院の前にあるレストランでご飯を食べるつもりだったらしいマリアン(仮名)でしたが、何故か時間が悪かったのか飲み物タイムで食べられませんでした。
 トゥルゴヴィシュテの中心地に戻り、改めて昼食タイム。
 ウェイトレスのお姉さんのスカートが短すぎます。惜しみなく晒される脚線美。
 って普通に下尻のラインが見えてますよ! ストッキングのまちが全部見えてると言えば女性ならわかりますよね。ご飯食べる前から違う意味でウハウハ。
 ビーフスープ(スープのことはチョルバって言うらしい)、パプリカの肉詰めを注文。飲み物はちょっと迷いましたが無難なところでコーラ。
 スープの前にパンと人数分の青唐辛子が運ばれてきました。パン美味。青唐辛子はどうするのかと思いきや、マリアン(仮名)の説明だと、どうやらこれをそのまま齧るらしいです。
 恐る恐る齧ってみたら、それ程辛くもなく。適度にピリピリ。これならいけるかもとスープ飲みつつぼりぼり齧っていたら、隣で相棒が悶絶していました。相棒のと取り替えて齧ってみたら、ショック死するかと思う程辛かったです。カラいを通り越してツラい。むしろ痛い。どうやら当たりハズレが大きい模様。どっちが当たりでどっちがハズレなんだかわかりませんけどね……。
 前菜のスープを食べ終わった時点でかなりお腹一杯。もうご馳走様させてくださいって感じでしたが、容赦なく出されるパプリカの肉詰め。
「無理無理絶対無理もう入らない」と言いつつ食べたら蕩けそうに美味。パプリカの中に挽肉と玉ねぎと米がぎっしりみっしり詰めてあって、それを丸ごと煮込んであるんですが、これがもう極上。
 コブシ大のパプリカ2つ、完食しました。
 美味いものは別腹ですよ。※2
 しかしまぁご飯の美味しさもさることながら、お姉さんの魅惑的な脚線美を目で追う方が忙しかったです。言うまでも無くルーマニア美人。スタイル抜群。嗚呼、初日から目の保養しちゃった。眼福眼福。

  1. ※1 デアル僧院(Manastirea Dealul)チャウシェスク夫妻が処刑された場所。Manastireaのaのうち2つにはアクセント記号の逆向きのが付くんですが再現できませんです……。
  2. ※2 後々痛い目をみます。皆無理はするな。

It's gonna break the speed of sound♪ [Web拍手]

 13時35分、トゥルゴヴィシュテを出発。
 向かうはポイエナリ城塞※1跡。ルーマニア政府観光局では「誰も住んでない山の上です。普通行きません」と言われたポイエナリ城。果たしてどんな所なのか。本で写真はちらっと載っていたりしますが、周りの状況とかサッパリわかりません。
 楽しみだけどちょっと怖い。

 街を出ると車のスピードが一気に上がります。制限速度って何キロなんだろう、と下手な英語で一生懸命尋ねたところ
「市街地は50~60km/h、街の外は90km/h、高速道路は130km/h!」
という返事。なるほど。
 まぁ、多少オーバーするのは日本も一緒ですしね。
 日本は高速道路でもそんなに速くないよと言うと、日本の制限速度を聞かれました。無難に、一般道は30~60km/h、高速道路は80km/hと答えたら、マリアン(仮名)が驚いたのなんのって。
「80km/hなんて全然ハイウェイじゃないよ!?」
 ごもっとも。
 まぁ皆、普段走る時は高速道路は100km/hくらいの感覚ですけどね……とイケナイ補足はしましたが、それでもやっぱりルーマニアの道路事情を考えると、一般道レベルだもんなぁ。
 BGMにはDeep PurpleのHighway Starがピッタリかもしれません、ルーマニア。

  1. ※1 ヴラド・ツェペシュが使っていたという説のある城塞。「アルジェシュ城」が居城という記述をしている資料もあるのですが、ポエナリ城=アルジェシュ城だとかはっきりいってどれがどれなんだかわかりませんorz。

目指せポエナリ城塞 [Web拍手]

遥か山の上にポイエナリ城塞  15時半頃クルテア・デ・アルジェシュ到着。そのまま通り越してポイエナリ城へ。
 16時ちょっと前、山道を車で走っていると、マリアン(仮名)が「fortress」と前方の山を指差しました。
 あ、確かに山の上に何やら建造物が見えます。
 って、車いきなり道端に停めるし。まだまだ先に道は続いて……って、え? 何? まさか。
 ここから徒歩か。
 そんなにイイ笑顔で山頂指差されても。行きますよ、行きますとも。ここまで来たら意地でも登りますよ!

ポイエナリ城とガイドとレンタカー  車を降りるとマリアン(仮名)は側にあった露店で小ぶりの洋ナシを袋買い。「Natural, not chemical」と私と相棒にも1個ずつくれました。
 そっかー、いいですねぇ。このまま丸齧り? ここで?
 とりあえずジーパンの腿辺りでごしごし擦って綺麗にして(←アバウトです)、皮ごとイタダキマス。
 車の側で3人、シャリシャリと洋ナシを齧りつつ城塞を見上げてみる。
「城塞まで1500段あるけど登りますか?」
 ……登らいでか!('A`)
 運動不足のヒッキーの体力を甘く見るなよー!?
 洋ナシを食べ終わり、芯を迷うことなく隣の川にポイッするマリアン(仮名)。
 驚く相棒と私に向かってにっこり笑顔で一言。
「Natural, not chemical」
 なるほど。では我々も。

ポイエナリ城塞 [Web拍手]

ポイエナリ城へ続く山道  梨も食べ終わり休憩終了。いざ登山開始。
 ものの1分でくたびれる私。
 いや、別にヒッキーとかじゃなくてね、6月に右足を挫いて以来あんまり階段使わないようにしてたからさ、ほら、ね? 運動不足とか言わないでorz
 森の中は陽が射さないためかかなり涼しいのが救い。それが無かったらもっとへたばりそうでした。
 休み休み30分かけて登頂成功。
 そして城の少し手前の階段にぽつねんと座っているお爺さんが1人。
 お爺さんとしばし談笑するマリアン(仮名)。階段は1486段※1だったそうです。
 どうやら管理人さん※2らしい。もしかして1日中ここにいるんでしょうか。少し手前に山小屋らしき小さな建物がありましたが、あそこに住んでるんでしょうか。
 疑問は尽きませんが、見学料とカメラ使用料を払っていざ城塞へ。
来たぜポイエナリ城 どこが車かわかりますか?  これがポエナリ城か! わぁステキ。
 って、予想以上に跡形も無いですね。見事な廃墟っぷり。これでもかなり修復されているはずなのがまた驚き。
 振り返ればそこには着た道……って、あ、デジカメの望遠最大にしたら我々の車が見えますよ。思えば遠くまで来たもんだ……。
 見事な青空を見ながら、
「貴方達はとてもラッキーだね。2、3日前にも日本人観光客を連れてきたけど、大雨で大変だったよ」
 とマリアン(仮名)がしみじみ。
 実は我々が到着するつい一週間程前から、ルーマニアは大雨大洪水で死人が出る程大変なことになっていたのです。確かにブカレストのオトペニ空港に到着した時も外は濡れていました。
 入国後すぐに「実は洪水で大騒ぎなんだよね」と言われて、我々の旅も下手したらずっと雨なのではと心配していたのですが……。
 日頃の行いが良いせいか晴れました。
電球が入ってない 廃墟 廃墟 廃墟 廃墟

 ライトアップのためらしき照明器具も設置してありますが、中身=電球が入っていません。もはやライトアップされる事は無いのでしょうか……。
 全体的に、土台部分に近い壁が僅かに残っている程度。これでも補修されたとか何とか。修復前はどこまで壊れていたんでしょう。
絶壁 絶景 絶壁

 崖の下に見えるのはアルジェシュ川。多分コッポラの『ドラキュラ』でエリザベータが身を投げたのはこの川がモデルでしょう。
 確かにこれなら川まで転げ落ちる事も可能かも。
そのままアルジェシュ川に綱無しバンジージャンプ?  この場所で何より驚いたのが、先に到着していた観光客。
 この城塞、かなり切り立った山の上というかむしろ崖の上に建っています。しかも建物自体半壊していて崩れかけています。
 その崩れた壁の上で何故ピクニック。
 マリアン(仮名)もその観光客を見て一言「Crazy」とのたまいました。

  1. ※1 菊地秀行の『吸血鬼幻想 ドラキュラ王国へ』によれば1420段、『ワールド・ミステリー・ツアー13 東欧篇』によれば1440段とのこと。真実の段数やいかに。
  2. ※2 菊地秀行同上によれば、麓のアレフ村の住人が料金徴収係をやっているようです。

下山 [Web拍手]

 山の上にあるのはこの廃墟のみなので、特に見るものもなくものの20分で見学終了。下山開始です。
 確かにこれはツアーには組み込まれないわ。納得。
 来た道を引き返し、ひたすら階段を下りる。
 と下りきる少し手前にパソコンと人影。
 側にある店から20~30mくらいでしょうか、山の中まで電源ケーブルを引いてPCを設置しているではありませんか。
 何でこんなところに? と思いながら通り過ぎようとしたら、ディスプレイに映っているのはルーマニアの風景写真スライドショー。
 青年はルーマニアの大学生で、地理学を勉強しているのだとか。それで全土を回って写真を撮ってきたらしい。
 なるほど、それをCD-Rに焼いて土産物として販売しているわけだ。
 確かにこんなところまで観光に来るような客はマニアックなのが多いんだろうし、絶対数は少なくても商売敵も居ないし。賢いな。
 CD-R1枚に写真が500枚以上。価格も良心的。むしろ観光地の土産屋で買うより遥かに安そう。
 マリアン(仮名)も「これなら安いよ。お土産にいいよ」と太鼓判。
 夫婦そろって「KさんとMさんと……」と写真を土産にしたら喜びそうな面子を数えてみたら、合計6~7人。
 よし、友達の分の土産にするから10枚くれ。
 慌てふためく青年。
 どうやらそんなに在庫を用意していないようです。前言撤回。商売敵以前に客もいないのかもしれないです。
 律儀な青年はあるだけの在庫を引っ張り出し、全部目の前で起動して動作チェックしてから渡してくれました。良い人だ。

ダム湖 [Web拍手]

 今日の目的地はもう見たし、土産も買ったし、さぁ帰るか。……じゃなくて、ホテルへ。
 と思ったら、マリアン(仮名)が「近くに大きなダムがあるから」と更に車を山奥へ。
ダム ダム  15分も走ったかな、18時前にダム到着。言葉通り、巨大なダムでした。
 我々が行った時には放水されていませんでしたが、放水されると右側のような感じらしいです。
 放水中の写真はポイエナリで購入した土産CD-Rより。ちゃんと青年の許可は貰ってあります。
ダム湖  ダムの果てが見えません。向こう側に微かに見える山の麓まで全部ダム湖なんだそうです。ひょえ。
 一応観光地なのかもしれませんが、釣りをしている人がいたり、警備員が自動小銃背負ってたりと、謎なダム。
 そう、謎。謎なんです。
 ふと見上げるとそこには。
えれきまん(仮名)
 なんじゃこりゃ。

 マリアンによれば、このダム湖&発電所はルーマニアで最初に出来たもので、多分そのモニュメント……とのこと。
 いまいちハッキリしないこのモニュメント、我々は勝手にエレキマンと呼んでおります。
 誰か正体を教えてください。

クルテア・デ・アルジェシュ [Web拍手]

牛優先  18時10分、ダムを出発。通過してきたクルテア・デ・アルジェシュへ。
 途中、牛に停められました。彼(彼女)らも帰宅中なのでしょう。
 大都市はどうだかわかりませんが、基本的に動物優先。牛やら馬やら羊やらが綱もつけずに散歩しているので、大行列に当たったら車の方が停まるのです。
 18時50分、ホテル到着。
 今回の旅で唯一の二ツ星、Hotel POSADA※1
 我々2人とマリアン(仮名)の2組分のチェックインを済ませ、夕食の待ち合わせ時間を決めてそれぞれ一旦部屋へ。
 ここで驚愕の、あるいは予想通りの事態発生。
 荷物番をしていた私のところに戻ってきた相棒がぼそりと断言。
「チェックインのサイン見たらやっぱりマリアンじゃなかった」
 さて困った。彼は一体誰なんでしょう。
 それ以前に名前を知らずに1日過ごせた我々って結構器用かもしれない。

 部屋で荷物を置いて一休みして、19時半にロビーで再合流。
「何が食べたい? ルーマニア料理? ハンガリー料理? セルビア料理?」
 なんて聞かれてもどれが何だかわかりません!
 結局セルビア料理を食べようということになり、徒歩でぶらぶらと出発。
 クルテア・デ・アルジェシュはかなり人が多いです。地球の歩き方の地図にすら載っていない街ですが、あちこちにペンションらしき建物もあり、避暑地なのかな? という印象。
 ホテル裏にある団地を通り抜け、その辺の住民に道を聞きつつ突き進むマリアン(仮名)とついていく我々。
 サッカーしている子供や、団地の窓際に座って外を眺めているおばちゃんが指差しつつ道を説明してくれたり、なかなか人情味溢れています。
 入ったのはすぐ近所のレストラン。
 お酒呑む? とマリアン(仮名)に誘われましたが、相棒は下戸、私は胃薬常備の状態だったので丁重に辞退。
「胃が悪い人はグレープフルーツジュースは駄目ですよ」
 と鋭いツッコミをうけつつ、牛肉&フライドポテトのセットとグレープフルーツジュースを注文。
 ここでようやく、何て呼べばいいのかわからない&携帯番号教えて、と手帖にフルネームを書いてもらい、マリアン(仮名)の本名を聞きだすことに成功。
 彼の名はなんとアドリアンでした。
 アドリアンと言えばアドリアン・ファーレンハイツ・ツェペシュですよ! と勝手に萌える私。
 これ以降アディと呼ぶ事に。
 あ、料理は美味でした。

 食事&談笑タイムが終わるとまた徒歩でホテルに戻り、22時40分消灯。
 二ツ星といっても十分綺麗なホテルですよ。バスタブがある分、ブカレストのIBISより落ち着くかも。
 翌25日は待ちに待ったトランシルヴァニアに突入です。

  1. ※1 『吸血鬼幻想 ドラキュラ王国へ』で菊地秀行が宿泊していたホテルもここ。